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お金は天下の回りモノと言われるように、お金は有効に使えば使うほど、形を変えて自分に戻ってきます。財布のヒモを締めているだけでは、お金は泣いています。お金にとって財布の中は牢獄のようなものです。 世間では、「あの人はお金にキタナイ」とか「あの人はお金にキレイ」などといいますが、これはお金そのものがキレイとかキタナイと言っているのではなく、お金の扱い方がキレイとかキタナイと言っているのです。 お金そのものは、一定の購買力があるという意味でしかなく、それ以上でもそれ以下でもありません。あなたが汗水垂らして稼いだ1万円も、親からもらった1万円もお金の値打ちは同じなのです。 問題はその使い方なのです。1万円をパチンコにつぎ込んで1時間ですってしまう人と、その1万円をアフリカの飢餓に苦しんでいる子どもたちに寄付する人との違いなのです。 同じ1万でも、その使い方によって、人の命を救うことができるのです。パチンコですった人は、いっときの自分だけの快楽をむさぼっただけなのです。 お金を大切にする人は、1円のお金を惜しんで倹約しても、人助けのためなら1万円など惜しげもなく差し出すことができるのです。 ケチというのは、欲しいものがあるわけでもなくケチで、貯金が目的になっているのです。ケチな男は、いくらお金があっても、女性の誕生日に「今日はキミの誕生日だから、ステーキを食べに行こう」とはいえず、「安くて美味しいうどんを食べに行こう」と言うのです。なんと了見の狭いことでしょう。 ケチは、暑いさなかに自動販売機を探し当てて、冷たい飲み物を買おうとするときでも、150円の飲み物と100円の飲み物と迷っているのです。それは、50円違いで大の男が悩むのです。 こういう男に仕事など任せられるでしょうか。 男は、いざというときには、貯めた大金をすべて放出して勝負しなければならないときもあるのです。お金は使うためにあって、貯めるためにあるのではないのです。貯めるのは、あくまで手段なのです。 支払うときのその男性の顔の表情や、あるいは1万円札をどんな出し方をするかで、その男性がケチなのかケチでないのかが見えるでしょう。 |
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